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過去20年余の海外におけるQC展開に関する寄与により表彰され光栄の至りです。私自身はBCで育った経歴の無い実務的QC育ちですので其の間お世話になつた方々に、感謝の詞を申し上げる意味で一文呈します。
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戦時中(1940年卒後5年間)、中島飛行機株式会社太田製作所入社、設計部配属当時の渋谷巌課長から技術者及び管理者は如何有るべきか役割、責任、処置の在り方に付いて終戦に至るまで貴重な教えを頂きました。
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その後転々
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1951年 US AirForce Base 立川基地FEAMCOM の生産部検査部門にてチーフインスペクター1954年同基地改組によりFEALOGFOR変更、Procurement and Industrial Planningに所属、以後USAFがF‐86, T‐33,の機体及びJ‐47原動機のオーバーホールを日本企業に発注に伴い、MIL‐Q‐5923B&C,MIL‐Q−9858&Aの適用に基き、三菱重工業及び川崎重工業における品質組織のサーベイ、各計器.機器の校正、特殊工程の検定及び作業監査を、それぞれのMIL‐SPCにより、上司である生田 節氏とともに教わりながら實施、その後防衛庁がF‐86及びJ‐47の新製発注するに及びQCに対しては、共同作業により上記会社および外注企業にもQCのサーベイを実施したが何分にも経験少なく生田 節氏の卓越した知識、技術に負う所絶大で防衛産業の発展には忘れられないし、私自身の恩師として今は亡き人の冥福を祈り感謝したい人である。
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1960年 IHIに入社し、同社が受注したJ‐47エンジン製作に参加し検査、QCに従事、1972年 当時の今井兼一郎事業本部長の慧眼によるTQM導入により、デミング賞に挑戦し、官需一辺到からの意識改革を-意図しTQM部にて参画1976年 D賞の栄をえる
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1978年 停年退職、日科技連に参与として入社、当時の野口部長と海外の日本ブームに対し積極的に支援すべく活動を始め、韓国、台湾にTQM、QCC、1980年からはAPOの依頼で、Singapore Malaysia Philippineを手始めとして、1980年代には、40国を超える展開となり、特にNational baseの活動として、ブラジルの活動は特筆さるべき成果がある。
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QCCは積極的にアジア各国ともに参加しICQCCの形で例年HOST国が開催し盛況であるが、TQMの導入に関しては浮沈があり1980年代の盛況は見られないのが残念な所である。
終わりに、私の活動は御紹介致しました皆さん方の指導.支援.援助とJUSE職員の暖かいサポート無しには達成しえないことは自明の理で改めて此処に文末では有りますが御礼申しあげます。
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