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1952〜1953年頃は地方の大学出にとっては就職難であったが受験した2社目の且屋(現在のサントリー梶jに1953年3月に入社することが出来た。今でこそ年売上高約1兆4千億円、営業利益約8百億円の企業に発展したが、当時は入社式もない主として洋酒の製造販売を業とする年売上高56億円の企業であった。
1953年3月16日に初出勤したが、入社後最初にかけられた言葉は後に常務取締役になられた研究課長の方からで、それは「スイケイ学知ってるか」であった。“スイケイ学”、どのような漢字で書くのさえも知らない聞き初めの言葉であり、またその時、その1年後から、この“スイケイ学”に関わりのある仕事に携わることになろうとは夢にも思わなかった。新入社員としての8カ月間の製造や営業実習をおえて11月に本社のある課に配属されたが、当時会社では奥野忠一先生はじめ諸先生が訳をしておられる“スネデッカーの統計的方法”の輪読会が行われており、統計的方法は分析誤差データやパン酵母の製造実験計画とその実験データの解析に活用されていた。私は上司の指示で、この輪読会に参加することとなり、内容はとにもかくにも全く分からなかったが漸く“スイケイ学”が“推計学”であり、“推測統計学”のことであることを知った。
それから3カ月後の1954年2月に品質管理課が課長、開高健氏夫人牧羊子さんと私の3名で発足し、当初は工場間の製品品質のばらつきを無くすことを主眼に試験方法の標準化などの仕事をしていたが、1956年11月、東京大学で開催された第6回品質管理大会で石川馨先生のお話しを伺い、また前年にデミング賞実施賞を受賞された本州製紙の方のご助言もあって、我流ではなく先生のご指導の下で本格的に品質管理に取り組むことの必要性を上司に提言した。この私の提言が受け入れられて1957年2月から石川馨先生、草場郁郎先生のご指導を受けることが出来るようになったのである。それから既に45年間、半世紀近くも品質管理に関ってきたことになる。
以上が私の品質管理との関わり始めである。その後長きにわたり石川馨先生、草場郁郎先生、また1983年からは奥野忠一先生のご懇篤なご指導を受けることが出来たのは私の一生にとって忘れることの出来ない幸せな事柄となった。
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